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国境取り決めの試み

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ゴローニン、嘉兵衛の釈放交換

文化10年(1813)に、高田屋嘉兵衛とゴローニンの釈放交換が国後島を舞台に行われましたが、その間、囚われの身となっていた嘉兵衛は、ロシア語を勉強して両国の間の事情を調査しました。

そこで、もともと事件のひきがねとなった択捉島の襲撃事件は、レザノフが勝手に命令して行われた釈放交換を迎えたのですが、嘉兵衛は陸と船を何度も往復して、ついに囚われのゴローニンからの手紙をリコルドに手渡すことができました。

ひと安心したリコルドでしたが、松前奉行は、先の択捉島襲撃事件がロシア政府の命令ではないという公文書を持ってくることを要求しました。

リコルドはこの公文書を携えて箱館に入港し、幕府側はこの釈明を受け入れてゴローニンらを釈放しました。

このように、高田屋嘉兵衛のような人智に優れた人物との出会いが、日露関係をよい方向に導くことができたといえるでしょう。

いずれにしろこのような事件が起きた背景には、お互いの領土の境界がハッキリしていないこと、国境が決められていないことが原因だと考えるに至りました。

■ゴローニンの釈放と国境とりきめの試み
文化10年・1813年
高田屋嘉兵衛の尽力で釈放されることなったゴローニンは
嘉兵衛との友情を誓い合いながらロシアに戻っていきました。
そしてこの後から、このような事が再度起こらないようにと、
国境線を取り決める試みが行われましたがお互いに会うことができず
この時に国境線を取り決めることはできませんでしした。
ゴローニンの釈放と国境とりきめの試み

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