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返還運動の歴史

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返還運動の歴史は古く、戦後まもなく現在の根室市から始まりました。当時の根室は市ではなく町でしたが、北方四島に住んでいた17,000人余りの人々の多くは、関係の深かった根室へ安住の地を求めました。

当時の根室町長・安藤石典(せきてん)は島からの引揚者の援護に全力を挙げるとともに連合軍最高司令官・マッカーサー元帥あてに北方領土についての陳情書を提出しました。1945年12月1日のことです。これが返還運動の始まりとされています。

以後、返還要求の声は全国に広まり、各地で様々な団体による返還運動が展開されています。

このような息の長い返還運動の結果、19999年9月末に、北方領土復帰実現に関する請願の署名者数は70000万人を突破しました。

※北方領土の日
1981年1月の閣議において、政府は2月7日を「北方領土の日」と決定しました。これは1855年2月7日の日露通好条約の調印日にちなんだものです。以来、毎年この季節になると、全国で「北方領土の日」関連の記念行事が行われています。

※旅券・査証なしによる相互訪問(1992年4月から)
返還運動の盛り上がりを見せる日本に対し、89年、ソ連は「ソ連当局の査証を受けて」のわが国国民の北方領土への入域を認める政策を取り始めました。これに対しわが国の政府は、ソ連の不法占拠を認めるような入域を行わないよう国民に要請しました。その後、91年10月14日の日ソ両国外相間の往復書簡により、旅券、査証なしによる相互訪問が実現しました。その結果、北方四島在住ロシア人との間で率直な対話が実現し、日本や日本人に対する誤解や認識の不足が急速に解消されつつあります。

※自由訪問
1998年11月のモスクワ宣言に盛り込まれました。元島民、その家族による四島への最大限に簡素化された自由訪問。現在、元島民が北方領土を訪問するには、ビザなし訪問、墓参、人道支援の枠組みがあるが、訪問先や時間に制約があります。1999年から実施されています。

操業水域※安全操業
北方四島周辺海域での日本漁船の操業をいいます。だ捕や銃撃事件の続く中、南クリール地区長が民間漁業協力を提案したことを契機に1995年から交渉が始まり、以来2年以上を経て、管轄権を棚上げすることで合意。1998年10月より25隻が操業開始。違反操業などのトラブル防止のため、出漁時にはロシア語研修や事前説明が行われていますが、ロシアのトロール船による漁具被害などが相次いでいます。日本側は、漁業協力金としてロシア政府に対しを支払うほか、機材提供しています。交渉費用なども高額にのぼり、地元漁協などで負担しています。

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