千島連盟通信

北方領土活動情報

江戸幕府による北方領土の開拓

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ラックスマン一行は、幕府から江戸来航を断られますが、長崎入港の許可証を与えられて帰国します。

このラックスマンの報告によって日本との交易が有望と考えたロシアは、ウルップ島に開拓民58人を送り、ロシアの基地を建設していきます。

このようなロシアの千島列島進出は、幕府をはじめとする国内に、大きな関心と警戒心を呼び起こしました。

もう松前藩の力だけではロシアに対抗することができなくなっていたからです。

幕府は天明5年(1785)に北方領土と千島列島に、最上徳内らの役人をおくることを手はじめに行いました。

そして寛政11年(1799)に、北方領土を蝦夷地とともに直接統治するまでの14年間で、地図を作成したり、アイヌの人たちの生活の様子、ロシア南下の実情を実地調査したりしながら、北方領土の統治へと向かっていったのです。

■江戸幕府による北方領土開拓がスタート!
そもそも日本が、国として本格的に千島に注目しだしたのは、
ハンガリア生まれの貴族ベニョフスキーからの警告によるものでした。
ベニョフスキーは、流刑地カムチャツカからマカオへの
逃亡途中で日本に立ち寄り、ロシアが松前や近隣の島々を
手に入れようとしていると、情報を伝えていったのです。
ベニョフスキーから情報を聞く松前藩役人

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