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日本とロシア外交のはじまり

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日本とロシアがはじめて接触をもったのは安永7年(1778)のことだといわれています。

千島列島のウルップ島でラッコ捕獲事業を営んでいたオチエレデンが、3隻の船で根室ノツカマップに上陸しました。

千島列島のロシア人たちは本国からは遠く離れているため、つねに食力不足などに悩まされていたことから、日本と交易することで生活物資を得ようとしました。

しかし当時日本は鎖国政策を行っていたため、松前藩の役人はこれを断ります。

そして14年後の寛政4年(1792)にも、ロシア皇帝エカテリーナ2世の国書をたずさえたラックスマン一行が、日本の漂流民 大黒屋光太夫らを伴い、軍艦で根室にやってきました。

ラックスマンがたずさえてきた国書の内容は、生活物資を日本との交易によって調達したいということが記されていました。

■日本とロシア外交のはじまり
日本とロシアの外交接触をはじめて行ったのがこの頃。
鎖国当時の日本にあって、ロシアが交渉を持とうとしています。
上(1786年択捉島へ渡来したロシア人、下(1779年魯西亜人応接書
【右上】天明6年(1786)択捉島へ渡来した3人のロシア人
【左下】安永8年(1779)魯西亜人応接書

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