千島連盟通信

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語り部事業より~元島民二世の思い

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語り部事業~池田實(2004.6.12 佐賀県塩田町での公演より一部抜粋)

本日は、佐賀県藤津郡塩田町地域婦人連絡協議会の皆様のご参集をいただき、北方領土元島民二世としてお話させていただく機会を得られましたことに対し、心より感謝申し上げます。(中略)

冷戦時、つまり私がまだ幼い頃、夜になると国後島のあちらこちらから国境警備のサーチライトが夜空にぶきみにその明るさを増し、子供心にたいへん恐怖に感じたことを忘れません。

私の母の住んでいた国後島古丹消は、オホーツク海側に面し千島火山帯上にあり、温泉も多く比較的暖かかったようです。

食生活は、米と調味料以外は全てが自給自足の生活で成り立っていたといいます。魚介類はサケマス、タラ、チカ、ニシン、ホッケ、カニ、エビ、カレイ、ホタテ、ウニ、ホッキ、アサリ等豊富で、加工してカマボコにしたりして、いわゆるご馳走だったそうです。

肉類は、トド、クジラ、クマ、カモが主流だったそうです。野菜はじゃがいも、白菜、大根、長ネギ、ごぼう、にんじん、野いちご、山菜などを食べていたそうですが、温泉近くではスイカ、サツマイモなども作れたようです。

冬1月から4月までは流氷に覆われ、その間海が閉ざされて、北海道からは反対の太平洋側に限られ、それも月に1度くらいの割合でしか荷物が届かなかったといいます。そんな中で冬の仕事は主に木材の切り出しを行なっていたようです。大正11年生まれの母が島を離れたのは終戦の年の9月であったそうです。

鉄砲を担いだロシアの兵隊さんが土足で入ってきて、病気で寝ていたじいさんの周りをどかどかと歩いていたそうです。

母や子供たちは押入れに隠れ、彼らが帰るのを待ったそうですが、その恐怖感は今でも忘れられないと聞かされております。その後すぐに母たちやじいさんは根室へ引き揚げました。・・・(中略)・・・・

元島民の皆さんの望郷の想いに加え、地域経済の根幹というべき問題を、国民運動として返還運動を継続していかなければと思うわけであります。

さらに充実を図るため、元島民二世同士の結束を強めていこうと根室管内一市四町の個々の青年部が一同に会し、根室管内青年部連絡協議会を設立し、後継者組織の基盤強化に動いたわけであります。

この波紋を日本全国の各後継者に広げ、広域的な活動ができるようにし、後継者の活動が活発になることで返還運動を継続していきたいと思うわけであります。